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記載:真鍋 やよい |
そろそろ9月のボランティアバスのことが掲載されてないかと
社協のHPをのぞきに行ってみると
災害ボランティア登録の受け付けが8月末まで延期されていました。
まだ、9月のボランティアバスは未定のようですが…
一緒に5回ボラバスに乗った方が
愛媛県立吉田高校で報告会をされたそうです。
吉田高校のウェブサイトでその時の様子が紹介されています。
また、生協にお勤めの方が
生協の西条支所で写真などを展示し、募金箱を設置されました。
そして、彼女の災害ボランティア 6月の①・② もアップされていました。
私は・・・
被災者とおっしゃる方がジェットスキーの大会に参加されていたのに
喜んだ…だけでスミマセン。。。
(8月10日記) |
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一緒にボランティアバスに参加した彼女が
自身のHPに作業の内容を追加してくれました。
災害ボランティア 5月①
何かをしなければ…お互いに思うことは一緒なんだと改めて感じます。
明日、第6回ボランティアバスに参加される方が東松島市へ向います。
愛媛県社協では、7月末まで災害ボランティア登録を受け付けています。
8月はお休みし、9月以降については現地の状況を確認し検討するそうです。
(7月7日記) |
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『ここであったできことを忘れないでください。
写真を撮ってもかまいません。その代り
ひとりひとりが発信をしてください。
そして、もっともっと多くの方に
現地に来てもらってください』
現地の方から頂いたお言葉です。
愛媛県・愛媛県社協の
第5回災害ボランティアバスに参加し、
(6月17日~6月21日)
住宅地の側溝の泥かきをしてきました。
県内から35人参加しました。
(内女性9人)
笑顔で迎えてくださった地元の方から
『2軒先のその家は
お嫁さんと子供さん…
その向こうはお年寄りが流されて…』と
お話を伺って現実を思い知らされました。
少し見ただけだと
おうちの形はほとんどそのまま残っていて
垣根の葉が赤茶けてはいるものの
新芽が芽吹いているのですから。。。
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私たちに何ができるんだろう…
私たちだけじゃムリ・・・
がれきに埋もれた地域を
目の当たりにして
バスに乗っている誰もが
言葉を失いました。
そんな現地の状況を
少しでも多くの方に
共有していただき
ひとりひとりの今後の支援に
繋げていただけたら
幸いです。
この場に掲載するべきではない
とのご意見もあるかと思います。
けれど、
どこかで誰かに伝えていかなければ、
ただ自己満足のために
行っただけ…
になってしまいそうな気がして。
誤解を受けることも
ある程度覚悟しています。
それでも
まだまだ支援が必要なことを
伝えていかなければ…
その思いだけで
掲載したいと思います。
(7月5日記) |
一緒にボランティアバスに参加した方が、おそらく迷いに迷って
それでも書かなければ…と久しぶりにアップされたそうです。
伝えなければならないこと
どう表現したらよいのか考えてしまって、考えると余計に分からなくなって…
結局、自分だけの胸にしまってしまう。
そんな思いをしている人が、少なからずいるんじゃないでしょうか。
私も、『追々写真もアップしていきます』と書いておきながら
一歩が踏み出せずにいました。
けれど、この『伝えなければならないこと』を読ませてもらって
帰ってきてから2週間も経ってしまったけど、やっとフンギリがつきました。
写真を見ていた同居人が、
「この造船所…だいぶ前だけどクレーンを納めた…」
と自分との繋がりを見つけ出しました。
それから、
「また今度はいつ行くの」とも言ってくれました。
『自分はいけないけど、行って僕の代わりに頑張ってきて!』
そんな気持ちが込められているのかな・・・?
お義父さんには、ボランティアバスに乗る前に
「お国のために頑張ってきてくれ」
と言われて
え?そんなんじゃないんだけどなぁ・・・と
思いましたが、もしかしたら
『私たちは歳も歳で行けないけれど、私たちの分まで
被災地で役に立ってきてほしい 』
ってことだったのかと思い直しました。
(80代のお義父さんは予科練にいたお話をよくしてくださいます)
何を書いても、伝えたいことがまっすぐに伝えられるかどうか不安です。
けれど、写真は率直に伝えてくれる気がします。
文才がないから余計にいろんな方法で伝えなければ…
そう思う真鍋なのでありました。 |
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東松島市へ向かう途中
仙台を過ぎたころだったか、
高速を走るバスの窓から
眼下に広がる景色には
青々した田圃でも畑でもなく
津波で流されたのであろう
トラックや丸太が散乱。
誰もが言葉を失い
窓に釘付けになった。
もう3か月も過ぎているのに…
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何年も塩害で作付けできないと
今朝テレビで言っていた。
何年も・・・ |
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いったいいつになれば
元の暮らしに戻れるのだろう。
家の中はなんとか片づけたとしても
一歩外に出れば
震災の爪痕がそこここに。。。
私たちはほんの数日
滞在するだけだが、
毎日が非日常…
それが日常…
・・・私なら
諦めてしまうかもしれない。 |
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ボランティア一日目
側溝の泥かきをしたすぐそばの堤防沿いに
立っている電柱が、こんなに傾いていた。
僅か数メートル先では
床上浸水した家を今もなお片づけながら
過ごしていらっしゃる。
ご自分たちが大変なのに
私たちのためにお茶の差し入れなど
お気づかいいただき申し訳ありません。
ありがとうございました。
側溝の泥を取り除き、家から水が流れ出た時
やった!と心の中で叫んでしまった。
けれど、すべてのお家から流れ出るわけではなく
側溝までの自宅部分は各自で行わなければならない
とのこと…
やるせなさを覚えてしまった。 |
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街の中を走っていると
普通に車が停められている。
けれどその上のカーポートは
あの日のままなのだろう。
こんな風にいがんでしまった
カーポートや駐輪場の屋根を
いったいどれだけ見ただろう。 |
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行く先々でこの写真のような
車が山積みになった場所を見る。
その一台一台は
既にスクラップにする機械に
通されたかのごとく
紙きれを丸めるかのごとく
グシャグシャになっている。
これだけの人が車を失っている。
中古軽車両が不足しているらしい。
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右後方の建物は学校のよう。
他の写真で見ると
学生が校門付近を歩いている。
そこに迫るがれきの山は
強烈な臭いとハエだろう。
きっと今頃
期末試験を受けている。
のほほんと過ごしている
高校3年の息子にも
伝えなければ…
何かを感じ取ってくれるだろうか。 |
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住宅のすぐ近くにも
がれきの集積場
このがれきを
処分してしまうのに
何年もかかるという
私たちには
どうすることもできないこと
こんなにあるのに
政治は止まってしまったまま…
にしか見えないのは
私だけだろうか。 |
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ニュース番組などをみると
もうがれきがかなり片付いて
なにもなくなった更地が
どこまでも続く海岸沿いが多い
こんなにがれきが残ったままの
場所がまだあるなんて…
沖縄県警、鹿児島県警…
パトカーや護送車などに乗り込んだ
警察官が応援に入っていた。 |
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3月11日から101日が過ぎていた。
この写真から想像できるだろうか。
あまりの衝撃に手が震えた。
さっきまで、側溝の掃除をした場所から
バスで数分しか走っていない東松島市内。
ここへ連れてきていただく前に
ボランティアセンター近くの道路を歩いた。
掃除した場所より少し幅が広くて深そうな側溝が
蓋のすぐ下まで泥でいっぱいになっていた。
私たちが掃除した場所から流れ出るはずなのに
詰まったままでは溢れるだけ…
海岸の方へ連れて行ってもらう時間があったら
ここの掃除を少しでもしたほうが良い。
そう思いながら歩いていた。
けれど、
昨日・今日と見た風景がすべてではなかった…
と改めて分かる。
テレビでも毎日見ているのに今頃分かったのか?
とも思うが、やはり
自分の目で見て初めて本当の認識につながる。
そうなのかも知れない。
鹿児島ナンバーの車が「床の貼り替えします」
と手書きの紙を貼って停まっていた。
ボランティアセンターに行ったが、
個人の家の中に関しては
ボランティアは受け付けていないため
ボランティアセンターに登録せず回っているとか。
いろいろな支援の形があるのだと思う。 |
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3日間、お天気に恵まれた。
3日目も暑かった。
大汗をかいて作業を終えた。
これからバスで18時間
愛媛までの道のりは遠い。
汗をかいたままでは…
と仙台のスーパー銭湯に立ち寄る。
大慌てで汗を流して
着替えを済ませ帰路に就く。
そのすぐ横では
津波に流されたそのままの車。
すぐ横には廃車置き場。 |
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前を向いて頑張ろうとしている
東北を心から応援し
これからも私にできることを探して
取り組んでいければと思う。 |
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