災害ボランティアに参加しました(第2弾)

  記載:真鍋 やよい
愛媛県社協からメールで連絡があった。
11月17日にボランティアバスの募集について掲載されると。

次回のボランティアバスは12月5日(月)から9日(金)
まったく平日・・・
果たしてどれだけの人が仕事を休んで参加できるのだろう。
私も家のことを放っておいて行けるの…?
と思っていた。ところが・・・
『一人でご飯食べてたらええんやろ。大丈夫よ』
と同居人。そして、発表の日
職場でわざわざ社協のHPをチェックしていた。
その同居人が職場でチェックしているのとほぼ同時刻
私はと言うと…応募してしまっていた。
そして、当選してしまった(?)
前回一緒に行ったリンク先の彼女は
3回目ということもあり、落選(?)したそうだ。

今回は、宮城県女川町。
現地のニーズは日々変わっている。
仮設住宅に入居し、避難所は11月に閉鎖された。

仮設住宅の訪問と、山林・砂浜の清掃が主な活動内容。

山林や砂浜の重機が入れない場所のがれきなどを
手作業で除去してほしいと町から要望があったそうだ。
『砂浜の木々にナイロンのテープなどが絡んで風に揺れるのを見ると
あの日を思い出してしまうのでどうにかしてほしい』と
住民の方からの要望が役場に寄せられているらしい。

事前に電話連絡をした時に聞いた情報。
用意していくものも変わってくる。
仮設の訪問だけなら、防寒対策をしておけば大丈夫。
清掃となると、カッパ、長靴、手袋…今回も大荷物だ。


今回は出発曜日の関係で
『お国のために頑張ってきてくれ』と送り出してくれた
お義父さんに送ってもらうのは難しいから
前回は内緒にしていた実家の母に集合場所まで連れて行ってもらった。

そこで初めて現地の方との買い物&温泉ツアーなる企画を伝えられる。
施設やケアハウスにいらっしゃる方と
私たちが松山から乗って行った大型バスで
1時間ほど離れた現地の大型スーパーに買い物に行き
近くの温泉施設に移動し一緒に昼食をとり、温泉に入るそうだ。
すでに現地の施設では参加希望者を募ってあった。
買い物&温泉ツアーには私を含めボランティア5名が参加し
他のボランティアメンバーは2つにわかれて仮設訪問と砂浜清掃。

集合場所で見覚えのある顔を見つけた。
第5回ボランティアバスで一緒だった人が4人もいた。
とても心強かった。そして頼もしかった。

オリエンテーションの後、自己紹介と参加理由を述べる。
6月に東松島に行き、何かしなければ…と強く思った。
5ヶ月余りたち、その気持ちが薄くなりつつある。。。
それではいけない…と思いながらも日々の自分の生活に流されている。
これでいいんだろうか…
そう思ったら、考えるより先に申し込んでいた。
それが私の参加理由。また・・・
最初からまとまりのない発表だった。
このまとまりのなさが
毎日のミーティングでも発揮されてしまったのだが。。。

1台のバスに乗り込んでいよいよ出発。
6月に行った時とは違い、だれもがかなり着込んでいた。


瀬戸中央道通過中16時過ぎはもう夕方

そして、夕暮れも早かった。瀬戸中央道ではすでに夕焼け…?
バスの中は暖房がきいて常夏。けれど、
サービスエリアに停まる度に寒さが厳しくなっていった。


高速の道順は前回と一緒。
3時半にはすでに福島県を走っていた。

磐梯山サービスエリア がんばろうふくしま



女川町立病院の下を幹線道路が走る。
左上に見えるのが町立病院の建物。

病院と同じ敷地にある女川町社協の建物は
1階まで浸水したそうで
時計はその時のまま止まっていた。


幹線道路から町立病院を望む


病院のもう少し奥の小高い場所に
神社がある。
津波はそこまで駆け上がった。

高台にある神社も浸水した

女川町駅は跡形もなかった。
山の麓まで車両が流されたそうだ。

正面奥の高台にある建物が町立病院。
こんなに高い所にあるのに、津波の後は
流された車がフェンスに引っ掛かっていた。


youtubeやブログなどに
当時の映像・画像が多数掲載されている。
女川町駅

一日目に通った時はこんなに水がなかったはず…
大潮が近くなると海水がにじみ出てくるそうだ。

沿岸部では地盤沈下が約1メートル
道路は津波後に嵩上げしてあるため
何とも不思議な景色が広がる。
海岸の近くは地盤沈下が激しく海に道路が浮いたようになっている

女川町のがれきは44万トン。
そのうち10万トンを
東京都が受け入れてくれるとか。
女川町の処理能力の115年分のがれき。
日本中で処理できないものか…

愛媛県は受け入れをしないと決めたらしい。
がれきの山は115年分

女川町総合運動公園内の
テニスコート
テニスクラブのHPらしく(?)
この写真も掲載しておこう。

ここには自衛隊がお風呂を設置していた。
すぐ横の体育館が避難所だった。
自衛隊が撤退してからは
コイン式のシャワーが設置された。

その時に使った燃料のドラム缶
もう空なのだろうが
いつになったら片付けられて
テニスコートが使えるようになるのだろう。
テニスコートもあったけど・・・

女川町総合運動公園内の仮設住宅前で
移動スーパーがオープンしていた。
震災後に営業し始めたのかと思ったら
震災前から、各地区を回って
高齢者の買い物を助けていたそうだ。

お昼休みに見かけた後
午後から仮設住宅を訪問する私たちと
追っかけっこをして活躍していた。
震災前から高齢者の生活を支えていた

女川町観光協会のシーパルちゃん
うみねこ出身?
いつもは町の魚である鰹を持っている。

女川の沖合に江ノ島列島があり
その中の足島がうみねこの繁殖地。
国の天然記念物の指定を受けているそうだ。

気のせいかポッチャリしているのは
鰹が美味しすぎるから?
がんばる女川

札幌ナンバーの覆面パトカーが
駐車場に停まっていたので
???
じっと見てしまった…

全国から交代で東北に応援に来ているそうだ。
北海道警察と書かれた背中は
とてもりりしかった。
快く撮影させてくださった北海道警察の方々。ごくろうさまです。いつもありがとう!
北海道からの派遣

買い物&温泉ツアーも無事終了し
最後の日は仮設住宅の訪問をした。
女川町を出て、石巻にある仮設住宅へ。
女川町には仮設住宅を建てる土地がないため
隣の石巻にも女川町の仮設住宅がある。
社協の職員の方も町の保健師さんも
石巻まで訪問しているそうだ。

その仮設住宅に住みながら
鰹の餌を卸す仕事をしている方が
仕事先から帰って来られた。
高知からも餌を仕入れにくるそうだ。
仮設住宅で営業

今回は、体操指導者がメンバーの中にいたため
時間があると寒さしのぎに(?)体操をした。
これは、帰りのバスの出発前に。。。

最後の体操
手前の二人はアンケートに答えている。
頭抱えている???
朝、旅館の駐車場で。
頼もしい面々
女川町の旅館だった。
当日キャンセルが出なかったら
男女同部屋だった!
もちろん仕切りはあったけど。。。

工事のために泊っている人が多く
宿泊客二百人の9割余りが男性のため
女湯は18時から男湯になってしまう。
2日目は猛ダッシュで入浴した!

1回目のボランティアのとき以上に
写真をアップするのに迷いがあり、更新に時間がかかりました。

もっともっと支援が必要なのが伝われば…
と思いますが
写真だけでは伝えきれない気がしています。

がれきの山が道沿いに続くなか
車が走り抜けます。
このがれきを毎日のように目にしながら
通勤や通学をする人。。。
その気持ちを思うと
どうすればよいのか分からなくなります。
女川町の夕焼け
買い物&温泉ツアーでお世話になったうみねこ園の方々から
年末にお便りをいただきました。
うみねこ園からのお手紙
一生懸命書いてくれたのが伝わってきました。



『震災以来遠出をする機会がなく久しぶりのことなので、
みんなとても興奮しているんですよ。
このお話をご家族にしたときは
どんな反応があるか…と不安だったけど
みんなから参加のお返事がありとても嬉しかった』
ツアー前日に職員の方がおっしゃっていました。

当日、バスの中もとても賑やかでした。
一人は一緒に参加したお母さんと座らず、
ずっと私たちと一緒にいてくれました。

『今日はみんな朝から気が抜けたようで…』
最後の日、見送りに来てくれた顔には
前日のツアーの疲れが残っているようでした。
名前ちゃんと覚えてくれていましたね。
どうもありがとうございました。



またきっと女川町に行きます。
きっとうみねこ園に会いに行きます。
(うみねこ園は女川町の心身障害者授産所)
2017年1月17日 更新

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