震災~復興ボランティア

  記載:真鍋 やよい

迷いに迷って参加した今回のボランティア。
年末年始の休暇を全部使うし、女性が一人もいないし…

そこで、同居人も連れて行くことにしてしまった!

今回も女川町。
松山万燈会の企画で
女川町にある熊野神社の初詣に合わせて
ろうそくイルミネーションを灯すというもの。

また、初詣に来られる方に、
愛媛のミカンと今治のタオルを配るそうだ。

今回、参加するのを
迷ったのは
本当は、今現地に行って私に何ができるのか
復興支援なんて何もできないんじゃないかと思ったから。

以前は震災ボランティアとして、がれきを片づけたり
溝掃除をしたり、復旧のためのボランティアができた。
けれど、
1年9ヶ月たった今も未だ手つかずの現地に行って
いったい何ができるの?


考えていても分からないから

わからないまま、とりあえず行ってみることにした。
やっぱりB型だ!

行くことにしたのはしたけど、
不安なのは、31日~1月1日の過ごし方。
バスで仮眠して、翌日も獅子舞と一緒に仮設住宅を訪問。
それって・・・

晩ご飯も朝ご飯もコンビニの冷たいお弁当?!
ガスコンロとヤカン持っていこう!!
火を使えるかどうか分らないから却下…
ポットと電気ケトルは?バスの電源使うの難しいから却下…

そんなんでホントに大丈夫ぅ???

こっそりストーブ持っていこうかな。
なんと、バスの下にある荷物室はミカンのコンテナで一杯の計算
荷物も自分の足元に置けるくらいコンパクトじゃなくちゃ
バスからはみ出してしまうぅぅ・・・

12月24日に事前の準備打ち合わせに行って発覚した事実。
行くって言ったことを少し後悔。

まぁ、なんとかなるか・・・
って若いころは思えていたけど、最近あんまり思えない。。。



女川町立病院

24時間365日診療を
掲げている。

この病院のすぐそばに
熊野神社はある。


2011.12
幹線道路から町立病院を望む

2012.12


これらの建物は
すでに撤去され
辺り一帯
なにもなくなっていた。

高台にある神社も浸水した
下の写真
どちらも
左奥に見えるのは
女川町立病院
女川町駅

こんなに大きな建物が
おもちゃのように横たわる。
あらためて津波の怖さを思う。

がれきの山は
分別されて他の場所へ。
土地を高くするためか
土はあちこちに
積み上げられていた。

2011.12
2012.12

流されてきた家が
片付けられていて
なんだか
とてもホッとした。


女川町総合運動公園内の
テニスコート


前回はドラム缶が
並んでいたが
今は撤去されていた。
ドラム缶の
跡形が残っていた。

テニスコートもあったけど・・・ 女川町運動公園テニスコート

女川町の夕焼け 前回は女川町の
夕日を見た。

今回は
初日の出を見た。
女川町の日の出


そうそう、今回の訪問は
熊野神社の初詣の準備だった。

到着後、神社の総代さんにご挨拶。
その後、幟を立てて回る。
凄い風で倒れないように念入りに・・・

なんと!
おんなじ方向からの写真がないのょ
下の写真は手すりに幟がたってるの
見えるかしら…

We♡女川

という文字にもろうそくを灯してしまおう!
傾斜45度の斜面。。。
ちょっと無謀な計画のようにも思えたけど
幸いなことに雪も積もっておらず
歩いて降りても滑ることもなかったので
カップが斜めにならないように
少しだけ土を平らにして設置していく。

文字を囲ってあるトタンの外側に設置…
これだと下から見たときに
トタンの上側が見えない???
ということで、
急遽トタンの下側に設置し直す。

おかげできれいに文字が浮かび上がりました。



おめかし前

  

ろうそくに灯がともった後、猪鍋をいただきました。


麻酔銃で仕留めたイノシシより
仕掛けでとらえたイノシシのほうが
お肉が美味しいのだそう。
私たちもごちそうになる。
毎年、初詣に来られた方にふるまっていたそうだ。

獅子舞。
初詣が始まる前に最終練習。
境内にも灯ったろうそく。

さて、今回のバスはちょっと豪華だった。
座席が広くて足が伸ばせる。
足元に荷物を置いてその上に足を乗せ…
前のバスでちょうどの大きさだったバッグは
余裕で倒れてしまって。。。

けど、
この豪華さが後々の私たちの運命を・・・
反対車線の渋滞はすごいけど私たちの前は車少ない!(写ってない!!)
24日に事前打ち合わせで話した後
県社協で借りることができたビブスに
名前と万燈会のステッカーを貼って
準備完了!
初日の雨でステッカーがボロボロになってしまったのは
ちょっと残念だったけど。

雪がなくてびっくり!? 仙台
きれいな建物?!
よく見ると
向こうが丸見え…

いまだにそのままなのだ

 

女川町立病院に到着。

みんなで
慰霊碑に手を合わせる。

目の前に横たわる建物は
以前のままだった。

何も言わないけれど
写真で見ただけだったものを

自分で見た衝撃は
いかばかりだったのだろう。

  病院の周りを歩くと
まだこのまま?!
と思うようなものが
いたるところにある。
  曲がったままの手すり
もぎ取られた手すり
けどこの階段
昼間は通ることができ、
高台にある病院への
通路になっている。
道路わきのフェンスには
1年前に来た時と同じように
津波で流されたものが引っ掛かっている。

こういったところまでは
なかなか手が回らないのだろう。

 

さて、ここで私たちが体験したサバイバル。。。
大晦日から元旦にかけての過ごし方は行く前から気になっていたこと
予感的中!!(してほしくはなかったが…)

大晦日の夕方、隊長から聞かされた。
バスの運転手さんは、今晩私たちに同行しても手当が出ない。
ということで、バスを置いて運転手さんは早々に退散。
・・・せめて夕ご飯を買いに連れて行って欲しかった。。。

昔のバスはドアを手動で開閉できたはず…
最新型のバスだそうでエンジンがかかってないと開閉できない!?
運転手さんいなくなるのにエンジンかけてあるはずもなく
私たちはドアの開いたままのバスで一晩過ごすことに。

予定では一晩中ろうそくの火を灯すために
消えたら交換していくはすだった。
けれど、2時ごろには初詣に来る人もいなくなり
境内での催しも終了。
獅子舞をしていた人たちも社務所で仮眠するそうで
私たちも初日の出を見るまでバスで仮眠することになる。

夕方はまだ温かみがあったバスだが
すでに外気温と同じ。
入口はひざかけを繋ぎ合わせて覆ったが風で揺れている。

バスのシートは合成皮革?!冷たい!!

眠れない…そしてトイレ。。。。。
社務所は鍵がかけられていて、中では20人くらいが仮眠中。
たたき起こしてトイレに行かせてもらうのは気が引ける。
仕方ないので一番近くのコンビニまで歩くことに。
一人は怖いので寝苦しそうに動いている同居人に一緒に行ってもらう。
5分くらいで行けるかと思っていたらとんでもない。
歩いても歩いてもコンビニの灯りすら見えない。
15分以上歩いた気がする。
やっと一番近くのコンビニが見えた!
走ったぁ。。。
甘酒を買って飲みながら歩いて帰る途中に精米機があった。
中に入ってみるとバスよりずっと暖かかった。
米を置くところに座った途端に精米機が喋りだした!
朝までそこで過ごしたかったが怖くなって
朝までそこで過ごすことは諦めてバスに戻ったら
動いたことで体が温まったのが良かったようで少し眠ることができた。


寒いバスの中で過ごしているときに誰かが言った。

私たちは防寒着を着てひざかけもある。
あの日は着の身着のままで高台や屋上に避難して
そのまま一晩二晩過ごした人が大勢いた。
津波でずぶぬれになったままで過ごした人もいた。
雪も降っていた。
寒さと暗さと恐怖と・・・
このまま朝が来ないのではないかとさえ思えたのではないか。

今回のボラバスで初めてここまで考えた。
改めてあの日をここで過ごした人々に敬意を表したい。



  病院敷地内にある
おちゃっこクラブ。

 

マリンパル女川

女川第一小学校の
三年生が作成。
入口に飾ってある。


30日は石巻にある旅館小松荘さんで宿泊
震災後は工事で来ている人が相手なのか
夕食の量は半端なく多かった!!
美味しかった~
残してゴメンナサイ…
2階の少し下まで浸かったそうで
階段の壁紙にここまでと印が書いてあった。

こんなこと言ってはいけないけど、
一人で寝るのは怖かった・・・
石巻市内旅館近くのコンビニ駐車場で

  真新しい建物も…

残念ながら復興食堂は
お休みだった
 
 
つづく・・・
 
そうそう、先日愛媛新聞で私たちのことが紹介されました。
あちらで訪問させていただいた仮設住宅での写真と
『We♡女川』の写真が掲載されていました。

2017年1月17日 更新

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